1186年、
西行法師が源頼朝から拝領の黄金地蔵を供養し奥州平泉の藤原氏から泰加を得て、帰の諸国行脚の途中(1187年)『狭村』に滞在、その時法師の夢に地蔵尊の顕現を得て、黄金地蔵を木造の胎内仏として彫り、狭川(せばがわ、西川)のほとりに借りの草堂を造って祀り、地域を布教したのち
越路なるせばの渡りの朝あらし きのうも吹か けふも吹らし 西行
と歌を残し立ち去ったのが
『願王閣』のはじまりと言い伝えられています。 その後、洪水などで再三遷座、場所が変りました。地蔵堂はその地蔵菩薩の門前町として誕生し、信濃川、狭川(せばがわ、今の西川)の水路に恵まれ、米の取引の場として栄えていたそうです。
青春時代の良寛は
出雲崎から地蔵堂の
『大森子陽』の私塾、『三峰館』に通いました。
その時、下宿した
『中村家』 (父の実家の親戚)は
『願王閣』の門の真向かいにあります。