良寛のすぐ下の妹むら子の墓があります。むら子は17才で出雲崎『橘屋山本家』から寺泊の町軽寄 外山文左衛門に嫁ぎ、良寛が
寺泊密蔵院、
国上山 、
五合庵、
乙子草庵に住んだころ何かにつけ身の廻りの世話をしていたといいます。
文政7年(1824年)亡くなります。享年65歳.
1831年74才で良寛は亡くなりますから、およそ良寛67才のころです。
良寛は他者に『依存』して一生を生きました。中でもむら子には一番気兼ねなく頼みごとができたことと思います。おそらくお互い気の会う兄妹だったのでしょう、頼りにしていた実の妹に先立たれ良寛は相当こたえたことと思います。それでもすでに良寛の身の回りの世話をしていた法弟
『遍澄』はおりました。
良寛の屈託のない『依存』、躊躇なき『依存』、平然たる『依存』は決して『甘え』ではありません。良寛の屈託のない『依存』を越後の里村の人々は徐々に受け入れていき、結果として良寛を74才まで生かしきりました。